関西学院大学商学部卒業後、静岡エフエム放送(株)に入社。朝帯の生ワイドのパーソナリティを中心に、夜帯のリクエスト番組のディレクションなど5年間制作現場を担当。その後、インターネットラジオコンテンツのプロデュースなど局のインターネット・モバイルサイトのWeb Masterとして一切の企画運営に携わる。2002年、(株)ディーツーコミュニケーションズに入社。メディアセクションで放送局・新聞社サイトをはじめとするモバイル広告の媒体開拓・商品企画の他、配信システムの開発、業界標準規格の策定など、様々なプロジェクトを手掛ける。
※上記プロフィールは取材当時のものです。
元静岡エフエムアナウンサー
今回は、静岡FM放送からディーツーコミュニケーションズのマーケティング職に転職された根津憲一さんです。転職のきっかけ、転職先を選ぶヒントをうかがいました。
静岡FM放送で、アナウンサーとして活躍された根津さん、アナウンサーからのキャリアチェンジを決意した経緯を教えてください。
僕は5年間、静岡県のK−MIX(静岡FM放送)でアナウンサーをしまして、そのあと1年間はインターネット担当職。「お前はインターネットに詳しいから」といわれて、局のインターネット戦略を任されました。しかし、インターネットはもともとグローバルなものなので、静岡というマーケットを相手にしていると、ある程度の達成感が一年も経たないうちに来てしまったんです。その部署からアナウンサーに戻れるかは微妙なところでしたし、年齢的にも30ぐらいで、飛び出してみるには最後のチャンスかなと考えて、転職を決意しました。
会社を辞めてからもアナウンサー職を、とは思いませんでした。アナウンサーの中でもFMのDJって、そんなにマーケットも広くないですし、自分はプロデューサーもやっていたので、どの位の知名度でどの程度の仕事があるっていうことがわかっていましたからね。今の仕事を選んだのは、ラジオとモバイルというものは非常に親和性が高い、ということを、5年間番組をやっている中で気づいていたからです。モバイルインターネットがこれから伸びていくという時期でもあったので、今までいた放送業界の経験とを合わせてゆけば、とても強いのではないかなと考えての決断でした。
アナウンサーとは全く違う分野の仕事への挑戦。不安や戸惑いはありませんでしたか?
もちろん、異業種の会社に転職することに対して不安がなかったわけじゃないです。静岡から東京と環境も変わりますし、家族もいるし。かなりのプレッシャーはありました。今の会社は、もともとドコモと電通という異文化のジョイントベンチャーで、その文化になじむのも大変でしたし、時間もかかりました。当たり前のことですが、仕事のプレッシャーは、仕事で解決していくしかないですよね。
アナウンサーとしての技術が、今の仕事で役に立っていると感じることはほとんどないですよ(笑)。プロ野球選手が会社員になって、バッティングが役に立つかって、それは立たないというのと同じことで。たまに会社の行事で司会をさせられたりはしますが、その程度。放送局のモバイルサイトの取扱をしているので、「放送局で仕事をしていた」ということが強みになることはありますが、アナウンススキルの部分は関係ない。
アナウンサーが転職するときには、今までのキャリアやプライドをスパッと断ち切ることが大事だと思います。違う仕事をするんだ、と覚悟を決めて飛び込むつもりで。転職を成功させるには、そのあたりの割り切りが必要だと思いますね。
あと、マイクの前でしゃべれることが一番の才能だと思っている方が多いと思いますが、誰でもそれ以外の才能を持っていると思うんです。僕でいうとたまたまインターネットとかモバイルの部分がそれに当たって、それをうまく強みとして活かせたのかなと思っています。そういうものを機軸に、転職の方向を考えていけばいいのではないでしょうか。
今、FMラジオ搭載のケータイのアプリ開発にも携わっています。FMラジオが聴けるだけでなく、全国のFMラジオのオンエア中の曲を携帯電話でリアルタイムに調べることができるといったものです。これからも、放送と通信の連携の分野で、どんどん新しいことをやっていきたいな、と考えています。
SNSの要素もあるのかな、なんて感じています。現役もフリーも全然違うところで働いている人もいるので、マイクの前にいた、いるもの同士横のつながりを生かせればいいですね。アナウンサーになるとき、アナウンサー受験組みたいな形で団結ってありましたよね。今度はOB会で(笑)、連携できればいいなと思います。
(2006/10/12 東京・汐留にて)