インタビュー

羽川英樹さん

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1953年京都府生まれ。同志社大学卒業後、76年にRSK山陽放送アナウンス部に入社。翌77年に退職後、読売テレビに入社。同局の看板アナウンサーとして 「11PM」「2時のワイドショー」 「24時間テレビ」「ザ・ワイド(大阪)」 などの全国ネット番組の司会を担当し、1992年、39歳でフリーに。以降、関西を中心にラジオ・パーソナリティとして活躍。現在は「羽川英樹のぶらっとサンデー」「あしたは日曜・・・ラジオ関西クラシックス」(ラジオ関西)、「ぐるっとびわ湖 環状線」(びわ湖放送)、 「日曜さわやかトーク」(サンテレビ)などに出演中。最近は放送以外にも、企業や自治体においての人材育成・接客サービス・ビジネスコーチング講師、市民講座講師、アナウンス学校講師、各種フォーラムコーディネーター、旅と食に関する執筆、飲食店アドバイザーなど、活躍の場を広げている。趣味は、鉄道・露天風呂巡り・B級グルメ探訪、全国ホテル旅館巡り・タウンウォッチングなど。

※上記プロフィールは取材当時のものです。

Interview vol.07 羽川英樹さん

よみうりテレビアナウンサー

局アナのスキルは「最大の武器」にはならへん。その上に「自分の思い」と「専門知識」が必要。

Q1.局アナからフリーアナウンサーへ・・・関西ならではの苦労とは?

関西では「お笑い」の人と「フリーアナウンサー」との仕事の棲み分けがないんですね。あと元スポーツ選手とかミュージシャンが司会やパーソナリティーをやってることも多いでしょ。彼らには専門的な知識、フィールドがあるし、顔が売れてる、その上にしゃべりがおもろかったりするから、普通では勝負にならへん。局アナとしてのスキルは「最大の武器」にはならへんと思いますね。それだけもって飛び出してもダメ。美しい日本語の上に「自分の思い」がのせられて、さらに「この分野なら評論家と同じくらいの専門知識がある」というくらいにならんとね。その意味で趣味・特技・資格というのは大事やし、日々勉強が必要やと思いますね。

Q2.現在のお仕事について、教えてください。また、これからの目標は?

今の仕事の比率は、ラジオ・テレビ関係が50%、あと50%が講演や研修の講師。テーマはこれまで「テレビの裏側」とかやったけど、ここ2、3年はコミュニケーション、コーチング、プレゼンテーションに特化して、勉強したことと経験したことを混ぜて講演や研修でしゃべってます。そうすると企業とか行政から声がかかるようになって、またそこからいろんな情報をもらってラジオでしゃべったり、フィードバックしながらいい感じで仕事できてます。2005年も、この「放送50講師50」という比率を崩さずにやっていきたいですね。あとやりたいと思うのは、関西を元気づけるような番組。東京と関西の格差は激しいから、なんとかして関西経済を盛り上げたいなぁと思ってます。

Q3.「現局アナ」の人に向けて・・・

「君たちは自分の仕事に見合わないたくさんの給料をもらっている!自覚がないだろう!(笑)」フリーになって同じだけ稼ごうと思ったら大変。もし辞めることを考えてるなら、もう一回自分のやりたいことを見つめてほしい。一年後のあなたがどうなっていたいかをビジュアルで決めておく。例えば、「こんな番組のスタジオのメイン席に座ってる」という具体的なイメージ。これがないと人はなかなか動かれへん。不満だけで辞めた人は結構大変やと思いますよ。錯覚も大きい。ゴルフで言うとね、「前半ぜんぜんダメやったけど、昼ごはん食べたら後半スーパーショットで逆転できるような気がする」みたいな感じ。環境が変わったら自分がものすごくうまく変身するように錯覚しがちやけど、実際、そううまくはいかへんもんです(笑)。

Q4.「元局アナnet」について・・・

すごくおもしろいですね。メンバーにも登録させてもろてますけど、定期的に情報交換とか交流ができるような会を、関西でも開いてほしいなあと思いますね。これからもがんばってください。

(2005/01/04 大阪にて)
※関西弁で書かせていただきました

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